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かいこん ほこら
悔恨の小祠
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 昭和調の家具の並ぶ居間は、庭に面するガラス戸から見える花々が目に鮮やかだ。
 夫人は本棚からアルバムを一冊抜き出した。
 そこには、玉突き事故の遺族会の横断幕の下に集まる人々や、あのサービスエリアの祠が出来上がるまでの過程などが写真が収められていて、ところどころに痩せた白髪頭の老人が、笑顔を作って写りこんでいる。町田であろう。病のせいなのか、乾いた皮膚やこけた頬が見た目を実年齢以上にみせていた。
 1枚1枚丁寧に見ながら、何気なくを装って言った。
「そういえば、留美子さんと道男さんたちが事故にあわれた話、ご存知ですか」
───いえ、知らないわ。お車で?」
「ええ。これとそっくりな祠のある雑木林のすぐそばで」
 直江は写真を指差しながら顔をあげた。
 はる香は眉をひそめている。
「……お怪我はなされたの?」
「いえ、幸い軽傷で済んだようです。何でも」
 と言ってから直江は一呼吸置いた。
「"獣のようなもの"に襲われたそうで」
 ぴくり、とはる香は僅かに身体を揺らした。心当たりがあるのだろうか。更に注意深く見つめる。
「ケモノ……?」
「ええ。どう思われますか」
 しばらく窓の外を眺めていたはる香は呟くように言った。
「……そのケモノって、狸じゃないかしら」
「タヌキ、ですか?」
「ええ、おかしな話だと思うでしょうけど」
 はる香はアルバムをもう一冊取り出して手渡した。
 礼を言って開いてみると、そこにはあの雑木林の祠の製作過程が写されている。
「こっちの祠はサービスエリアのものより随分前に建てたものです」
 日付をみると事故後まだ間もない。
「なぜ、この場所に?」 
「……実は主人、島内の出身なの」
 松本市島内はちょうどあの雑木林のある地域の地名だった。
「あそこには昔から”御狸(おんたぬき)様をよく信心すると願いごとがかなう”という言い伝えがあったそうです。主人が子供の頃、御狸様のおかげで福を得たひとがいたそうですよ」
 半世紀以上前、当時の林がもっと広く、まだ森と呼ばれていた頃の話だ。
 そういえば確かにあの近所で聞き込みをした時にもそんな話を聞いた気がする。
 幼少期をあの雑木林の近くで過ごした町田は、その頃に聞いた話を思い出して祠を建てることにした。
 当時はまだ刑事裁判すら終わっていなかった。身体の弱い町田は、折からの病院通いと裁判所通いの合間を縫って島内まで通い続けたという。
 その裁判は直江もニュースで観た覚えがあった。納得のいかない判決を聞いた遺族団が酷く怒っている様子は印象強い。あの中に町田もいたのだろうか。
「主人は裁判にもとてもいれこんでいました」
 希望とは程遠い判決内容に精神的なダメージを相当受けた町田は、もともと患っていた肺の病状は更に悪化し、島内に行く体力もなくなり、日に日に弱って行った。
 そして引き続き行われていた民事裁判の判決も原告側の望むものとは違ったことを自宅のベッドの上で聞いた町田は、その日の内に姿をくらませてしまった。
 判決の連絡を受けた直後、はる香は町田が"自分の命と引き換えしてでもあの男を罰したい"というのを聞いたそうだ。
「あの人の姿がないと気付いたとき、直感的に嫌な予感がして……」
 すぐに警察に相談したものの、夜まで帰りを待ってみようということになった。結局明け方になっても町田が戻ってくることはなく、捜索届けを出したのが翌日の午前中。島内の地元警察の協力の元、あの雑木林の探索が行われ、じきに祠の前で町田は発見された。
「……既に息はなかったそうです」
直江は呼吸をとめた。
 喀血して倒れていたという。
「死因は病死ということになりました。遺書なんかも出てこなかったから」
その日はひどく雨が降っていた。
 病身をおして車を走らせ、雨の中傘もささずに祠の前に座り続けた町田は、そのまま衰弱し亡くなった、というのが警察の見解だ。
けれどそれは死を覚悟しての行為だったのではないか、と直江は思った。
 ならば限りなく自死に近い行為だ。
 自身の命を御狸に捧げることで、望みを叶えてもらおうとしたのだろうか。
「ご主人は祠の前で、被告への天罰を願ったと思いますか?」
 はる香は俯いたまま答えた。
「わかりません」
「けれど、被告を恨んでことは間違いがない……」
 それを聞いたはる香はぱっと顔をあげた。
「…いいえ、違います」
「違う?」
 かぶりを振っている。
「あの人は確かに被告は罰せられるべきだと思っていました。でもそれは犯した罪を償わせるという意味で望んだことで、自分の苦しみを味あわせたい、というものではなかったんです」
 恨みとは少し違う、というのである。
「感情的な意味でいったら、あの人は被告を責めるより前に……」
 自分を責めていました───
 はる香の言葉に、直江は瞠目した。
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