かいこん ほこら
悔恨の小祠
なんと、今回の事件の発端となった例の五年前の玉突き事故の加害者が、自死を図ったというのである。
その男は刑務所にて服役中だったのだが、使用しているシーツを裂いたもので首を括っていたそうだ。
しかも話はそれだけでは終わらない。
加害者の遺体やその周囲は、成分のよくわからない粘液のようなもので汚れていたという。
男が死ぬ直前に話をした刑務官は、タヌキがどうのこうのと言っているのを聞いたそうだ。
過去、裁判において全く反省の色をみせなかった加害者の、突然の自殺。
今のところ遺書も見つかっていない。
「そ、それって……」
『ええ、ちょっと不可解でしょう?』
不可解どころの話ではないと高耶は思うのだが、直江は今後、自殺者が出ないよう様子をみるだけで、詳しく調査するつもりはないらしい。
「いいのかよ」
『ええ。たぶんもう、何も起きないでしょうから』
やはり"御狸様"はあの林にいて、町田の願いを叶えたのではないかと直江は思っているらしい。
だとしたら、加害者の命が消えた時点で復讐は成ったのだから、今後被害者が出ることはないだろう。
問題は、加害者の自殺を町田のせいだと考えたはる香が、相当ショックを受けているということだ。
そんなこと自分は全く望んでいなかった、加害者にも罪の重さを噛みしめながら寿命を全うして欲しかった、と泣いていたという。
『彼女とは、しばらく連絡を取り合うつもりでいます』
「そっか……」
『そういえば、あなたにありがとうと伝えて欲しいと仰ってました』
夫の最期の時に、高耶が言ったという台詞を聞いて、驚いていたそうだ。
はる香は確かに夫にもっと生きていて欲しかったし、お互いの心の穴を埋め合いたいと思っていたから、それを伝えてくれた高耶にとても感謝している、と。
「感謝なんて……」
自分ははる香に大しては一切何もしていない。たぶんこの先も、これ以上してあげられることはない。
しかも、唯一はる香の心に必要だった人間を、あの世へ送ったのは自分だというのに。
今更、町田を恨めしく思った。
「息子や孫に置いていかれて苦しんだ人間が、一番大事な人を置いてっちゃ駄目だよな……」
その言葉に電話の向こうで直江も黙り込む。
「人の苦しみも、《調伏》してあげられればいいのにな」
『高耶さん……』
直江はすぐに、しかも迷いなく答えた。
『大丈夫ですよ、高耶さん。はる香さんは死者達とは違う。何せ命があるのですから。生きている限り人は前に進めます。悲しみを乗り越える術をきっと手に入れる。彼女の痛みが永遠に続くことは絶対にありません。いつか必ず、癒される日が来る。必ず、報われる日が来る。私はそう信じています』
「直江……」
それはとてもよく解る。けれど、はる香に何もしてやれない自分がものすごく不甲斐なく感じる。
自分は相手が死者で無いと、役に立たないチカラしか持ち合わせていない。
そう言うと、直江は諭すように言った。
『以前にも言いましたが、私達に出来ることは、極力新たな痛みを生まないようにすることです』
「そうだな……」
前に直江が言ったその言葉は、間違いなく高耶の中に息づいている。
だから町田に対してあんな風に言えたのだ。
直江と言葉を交わしていれば、はる香もきっと前を向ける日が来るだろう。言葉の中に誠実さを宿している男なのだ。
と、そこまで考えて、高耶は思わず赤面した。
心の中だけのこととはいえ、一瞬でも考えてしまった事がとても気恥ずかしくて、茶化したくなった。
「当然、お前が事故なんて起こしたらシャレにもなんねーんだからな。常に安全運転を心がけろよ」
偉そうに言った後で、しまったと思った。
事故ったあなたに言われたくない、なんて嫌味な返事が頭に浮かんで、思わず身構えたが、
『そうしたらまた、誘われてくれますか』
囁くように、そう言われた。
電話の向こうの直江の笑顔が眼に浮かんで、思わず高耶はげんなりした。
「だから、野郎相手に何言ってんだよっ!」
そう言うと、らしくないほどの笑い声が電話口から聞こえてきた。
「電話代がもったいねーから切るぞ!」
受話器に向かって怒鳴っていると、美弥の顔が台所から覗く。
「おにいちゃーん、ごはんできたよー」
「わかった、今行く」
まだ笑っている直江にもう一度怒ってから電話を切った。
「随分楽しそうだったね?美弥のこと、何か言ってた?」
「楽しくなんかねーっつーの。美弥、いいからあんな男のことはさっさと忘れなさい」
といいつつ、直江が喜んでもらえれば、と言っていた事を伝えてやる。
満面の笑みでこちらにやってきた美弥の姿をみて、ふっと気がついた。
突然に訪れる別れ。
美弥が突然事故にあう可能性がないとはいいきれないのだ。
もしくは自分が何かで命を落とす可能性もある。
美弥の頭に手をのせると、なあに、とまるで恋人に甘えるように高耶の体に抱きついてきた。
(オレは、案外幸せな人間なのかもしれないな)
決して恵まれた境遇ではないと思っていたが。
高耶も美弥の肩に手を回すと、美弥はうれしそうににこっと笑った。
この笑顔をみると、自分の大切なものが何なのか、再確認できる。
「腹、減ったな」
「うん♪今日はしょうが焼きだよ!」
世界は広い。
高耶は直江達との出会いを通じて、少しずつ自分の世界を広げ始めているが、それでもまだ知らないことが山ほどある。
今更のように気付いた日常の幸福をかみ締めて、暖かな湯気の立ち上る食卓へと向かった。
□ 終わり □
その男は刑務所にて服役中だったのだが、使用しているシーツを裂いたもので首を括っていたそうだ。
しかも話はそれだけでは終わらない。
加害者の遺体やその周囲は、成分のよくわからない粘液のようなもので汚れていたという。
男が死ぬ直前に話をした刑務官は、タヌキがどうのこうのと言っているのを聞いたそうだ。
過去、裁判において全く反省の色をみせなかった加害者の、突然の自殺。
今のところ遺書も見つかっていない。
「そ、それって……」
『ええ、ちょっと不可解でしょう?』
不可解どころの話ではないと高耶は思うのだが、直江は今後、自殺者が出ないよう様子をみるだけで、詳しく調査するつもりはないらしい。
「いいのかよ」
『ええ。たぶんもう、何も起きないでしょうから』
やはり"御狸様"はあの林にいて、町田の願いを叶えたのではないかと直江は思っているらしい。
だとしたら、加害者の命が消えた時点で復讐は成ったのだから、今後被害者が出ることはないだろう。
問題は、加害者の自殺を町田のせいだと考えたはる香が、相当ショックを受けているということだ。
そんなこと自分は全く望んでいなかった、加害者にも罪の重さを噛みしめながら寿命を全うして欲しかった、と泣いていたという。
『彼女とは、しばらく連絡を取り合うつもりでいます』
「そっか……」
『そういえば、あなたにありがとうと伝えて欲しいと仰ってました』
夫の最期の時に、高耶が言ったという台詞を聞いて、驚いていたそうだ。
はる香は確かに夫にもっと生きていて欲しかったし、お互いの心の穴を埋め合いたいと思っていたから、それを伝えてくれた高耶にとても感謝している、と。
「感謝なんて……」
自分ははる香に大しては一切何もしていない。たぶんこの先も、これ以上してあげられることはない。
しかも、唯一はる香の心に必要だった人間を、あの世へ送ったのは自分だというのに。
今更、町田を恨めしく思った。
「息子や孫に置いていかれて苦しんだ人間が、一番大事な人を置いてっちゃ駄目だよな……」
その言葉に電話の向こうで直江も黙り込む。
「人の苦しみも、《調伏》してあげられればいいのにな」
『高耶さん……』
直江はすぐに、しかも迷いなく答えた。
『大丈夫ですよ、高耶さん。はる香さんは死者達とは違う。何せ命があるのですから。生きている限り人は前に進めます。悲しみを乗り越える術をきっと手に入れる。彼女の痛みが永遠に続くことは絶対にありません。いつか必ず、癒される日が来る。必ず、報われる日が来る。私はそう信じています』
「直江……」
それはとてもよく解る。けれど、はる香に何もしてやれない自分がものすごく不甲斐なく感じる。
自分は相手が死者で無いと、役に立たないチカラしか持ち合わせていない。
そう言うと、直江は諭すように言った。
『以前にも言いましたが、私達に出来ることは、極力新たな痛みを生まないようにすることです』
「そうだな……」
前に直江が言ったその言葉は、間違いなく高耶の中に息づいている。
だから町田に対してあんな風に言えたのだ。
直江と言葉を交わしていれば、はる香もきっと前を向ける日が来るだろう。言葉の中に誠実さを宿している男なのだ。
と、そこまで考えて、高耶は思わず赤面した。
心の中だけのこととはいえ、一瞬でも考えてしまった事がとても気恥ずかしくて、茶化したくなった。
「当然、お前が事故なんて起こしたらシャレにもなんねーんだからな。常に安全運転を心がけろよ」
偉そうに言った後で、しまったと思った。
事故ったあなたに言われたくない、なんて嫌味な返事が頭に浮かんで、思わず身構えたが、
『そうしたらまた、誘われてくれますか』
囁くように、そう言われた。
電話の向こうの直江の笑顔が眼に浮かんで、思わず高耶はげんなりした。
「だから、野郎相手に何言ってんだよっ!」
そう言うと、らしくないほどの笑い声が電話口から聞こえてきた。
「電話代がもったいねーから切るぞ!」
受話器に向かって怒鳴っていると、美弥の顔が台所から覗く。
「おにいちゃーん、ごはんできたよー」
「わかった、今行く」
まだ笑っている直江にもう一度怒ってから電話を切った。
「随分楽しそうだったね?美弥のこと、何か言ってた?」
「楽しくなんかねーっつーの。美弥、いいからあんな男のことはさっさと忘れなさい」
といいつつ、直江が喜んでもらえれば、と言っていた事を伝えてやる。
満面の笑みでこちらにやってきた美弥の姿をみて、ふっと気がついた。
突然に訪れる別れ。
美弥が突然事故にあう可能性がないとはいいきれないのだ。
もしくは自分が何かで命を落とす可能性もある。
美弥の頭に手をのせると、なあに、とまるで恋人に甘えるように高耶の体に抱きついてきた。
(オレは、案外幸せな人間なのかもしれないな)
決して恵まれた境遇ではないと思っていたが。
高耶も美弥の肩に手を回すと、美弥はうれしそうににこっと笑った。
この笑顔をみると、自分の大切なものが何なのか、再確認できる。
「腹、減ったな」
「うん♪今日はしょうが焼きだよ!」
世界は広い。
高耶は直江達との出会いを通じて、少しずつ自分の世界を広げ始めているが、それでもまだ知らないことが山ほどある。
今更のように気付いた日常の幸福をかみ締めて、暖かな湯気の立ち上る食卓へと向かった。
□ 終わり □
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