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かいこん ほこら
悔恨の小祠
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雨は酷く粘着質だった。

それは普通の雨とは少し違うものだったのかもしれないが、動くもののないこの森では、植物がただその葉を濡らすのみである。

葉から葉へと糸を引いてつたう液体が、僅かな光を集めてきらりと光る……。

身体が重い。息が苦しい。

手足の感覚はもう無かった。

全身の熱が失われてゆく中で、マグマのような感情だけが心の真ん中に残っていた。

自分はもうすぐ息絶える。

それでも、この感情は消えることなく残るのだろう。

自分を責め立て続けた、この想いだけは……。

男は確信を持って、目を閉じた。
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 ───……ッ!
 はっとして、高耶は目を覚ました。
「大丈夫ですか?」
 タイミング良く車へと戻ってきた直江が声をかける。
 窓の外を見るとどこかの駐車場の様だった。
 助手席のシートを倒して眠っていたようだ。
 妙な夢を見ていた気がする。内容はよく思い出せないが。
「身体がひどく冷えていますね……暖かいものでも飲んだほうがいい」
 そう言われて初めて、自分が寒さと息苦しさを感じていることに気付いた。
 身体が小刻みに震えている。
「さみぃ」
「いま持ってます。コーヒーでいいですか?」
 直江に支えられるようにして、起き上がる。
「どこだ、ここ」
「梓川のサービスエリアですよ」
 そう言い残して直江は自販機へと向かった。
「サービスエリア………?」
 自分達は安曇野から松本へ帰る途中だったはずだ。
 その移動にわざわざ高速道路を使ったのだろうか。
 いつもだったら文句のひとつでも言うところだが、気分が悪くそんな気になれない。
 身体の芯から冷水にさらされたように寒い。
 胸が圧迫されているように苦しい。
 自分で自分の肩をさするようにしていると、すぐに直江が紙コップを手にやってきた。


 安曇野市内で原因不明の水難事故が続いている、と直江から連絡があったのは3日前ことだった。
 被害者は共通して政府関係者で、もしかしたら怨霊絡みかもしれないという。
 霊査の訓練がてら現場を見に行くから、休日を空けておけというのである。
 二つ返事で快諾、とはならなかった。
 高耶は既にバイトの予定も入れているし、それが終われば譲の買い物に付き合う約束もある。
 ところが直江はしつこくて、色々ともっともらしいことを言って連れ出そうとする。
 それでも気の乗らない高耶を動かす決定打となったのは、最後の最後に放ったこの一言だった。
「まぁ、どうしても無理だと言うならばあきらめます。いざというとき《力》が使えなくて足を引っ張ることのないようにして下さい」
 直江のその直接的な嫌味は、逆に高耶に火を点けた。
(頼み込まれるならともかく、足手まとい扱いかよっっ)
 《闇戦国》について、未だに"妙なことに巻き込まれた"という気でいる高耶は、直江や綾子が忙しそうにあちこちを駆け回っていてもどこか他人顔だ。
 まだ自分を景虎と認めるつもりもない。付き合ってやっている、という感覚がある。それなのに。
(こうなったら絶対に見返してやるっ!!)
 結局、バイトを午前中で切り上げて、午後は直江に付き合うことにした。


 当日は快晴だった。
 デート日和だなどとふざける直江とともに現地に着いたのが午後3時過ぎ。
 早速、霊査の実地訓練が始まった。
 ところが高耶のやる気をよそに、霊的な兆候が全くみられない。
 どうやら連続水難事故は本当にただの偶然だったらしい。
 高耶がいくら集中しても、もちろん手ごたえがあるはずもなく、怨霊とは無関係だろうということで早々に現場を引き上げる事となった。
 ブーブーと文句をたれる高耶の機嫌をなおすために、直江は安曇野郊外にある蕎麦屋に行こうと言い出した。
 名うての信州そばは結構食べつくしてきたと思っていた長野県民の高耶だったが、その店の名を聞くのは初めてだった。
 一見民家のような、隠れた名店と呼ぶのに相応しい佇まいで、周囲ののどかな景色も、静かな雰囲気も、店主の応対も、もちろん味も、高耶はとても気に入った。
 出汁がどうとか、一緒に出たてんぷらの揚げ方がどうだとか、はしゃぐ高耶に直江も終始笑顔で付きあった。
 大満足して店を出た後で、実は1ヶ月待ちもざらの完全予約制の人気店だと知った高耶は、なんとなく直江の陰謀の匂いを感じ取ったが、心地よい運転と満腹感のせいか急激な睡魔に襲われて、そのまま眠り込んでしまったのである。
「幽霊騒動?ここで?」
 高耶はコーヒーをすすりながら聞き返した。
「えぇ、1年程前ですかね」
 ドアを開けたまま助手席に座る高耶の横で、車に寄りかかりながら直江が答えた。
 それは若い男の霊がサービスエリアの従業員や客に何事かを話しかけてくる、というものだった。
 必死に訴えかけてくるのだが、全身あちこちにひどい火傷を負ったその地縛霊は、喉も焼けてしまっているかのように、掠れきった声にならない声を発するのだという。
 そのヒューヒューという音が更に恐怖をかきたてる、ということで、話題になったそうなのだ。
 もちろん、霊体なのだから実際に声が出せる訳もない。本人(本霊?)よる"声が出ない"という思い込みが、そのような音を聴かせるのだろう。
「たまたま噂を聞いて、晴家とふたりで来てみたことがあったんですが、彼女でも声は聞き取れませんでした」
 一般人に姿を見せるだけの霊力はあるくせに、思念波の類は一切駄目らしい。
 放っておけばいたずらに噂が広まっていくだけだろうが、邪気も感じず人に危害を加える訳でもないその霊を、結局直江たちは《調伏》しなかった。
 特に綾子が嫌がった。
───あれだけ必死に何かを伝えようとしているのに、《調伏》なんてできないわ。
 潜在《力》は充分にある。霊齢が上がれば、意思を伝えられるような手段を得られる可能性もある。
 ただし、いつまでも人格を保っていられるとは限らない。
 この世に残った本来の目的を忘れ、感情だけが暴走し、人的被害を出すようになれば、《調伏》しなくてはならなくなる。
 また、人格を保ったまま力をつけてしまえば、憑依霊となる可能性もある。
 が、今すぐに《調伏》する必要はないと判断した。定期的な監視行動を続けよう、と。
「んで、見に来たわけか……」
 手の中の茶色い液体を見つめる。
「大変だな。ただ《調伏》すればいいってもんでもないんだな」
「私たちの使命は人に危害を加える怨霊をあの世へ還すこと、ですから。出会った霊を全て《調伏》していたらキリがありませんよ」
 確かにそうだ。
 高耶も"視える"ようになって、浄化できなかった霊というものは思いの他多く存在するのだと知った。
 《調伏》の条件が人的被害を出すことであれば、殆どの霊はそれに該当しないだろう。
「我々には全国に10年以上、あるいは換生を挟んで100年以上も付き合いのある霊だっているんです。
 そういう霊達はもう"霊"とは呼ばない場合が多いですが」
 それは守り神と呼ばれたり、妖怪と呼ばれたり、神と呼ばれる場合もあるそうだ。
「近頃はそういうことも随分と少なくなってしまいましたが、少し前までは当たり前のようにあったものです」
 直江の言う少し前がどれくらい前のことなのか高耶にはわからなかったが、"そういうこと"を大事にしてきたであろう直江たちの姿勢は口調から伝わってきた。
 "夜叉衆"なんて名前からして、霊とは敵対する存在なのだと思いがちだが。
(ちょっと、誤解してたかもな)
「で、その火傷したお化けにはもう会ったのか?」
 お化けですか、と直江は苦笑いで突っ込みながら、
「気分がよくなったのなら、一緒に見に行きましょうか」
 と、車から身体を離した。
 そういえば、寒気も息苦しさもすっかりよくなっている。
「ちょっと、会ってみたいよな、そのお化け」
 高耶も立ち上がった。 
 夜叉達が消極的ながらも守った死に人。
 一体どんなことのために、この世に残ってしまったのだろう。
 高耶の中に芽生えた興味が、再びやる気へと火を灯す。
 自販機のコーヒー一杯で、随分と身体が温まった。
 すっかり身体の温まった高耶は、もう夜風も冷たくは感じない。
 売店などが入った施設の裏口から外に出ると、そこは小さな公園のようになっていて、花壇やベンチが置かれていた。
 その敷地のはずれ、暗い外灯の灯りに照らされて、ぽつんと小さな祠(ほこら)があった。
 学校の百葉箱を思わせる白塗りの祠は、まだそれほど古くはないようにみえる。
「ここか……」
 高耶は昼間教わったやり方で、あたりの目には見えないものの気配を探った。
 が、何も感じない。
「いねーじゃん」
 直江を振り返ると、やはり、という顔をしている。
「もしかしてあなたなら、と思ったのですが……。私も先程霊査してみましたが、残留思念すら感じられませんでした。どうやら浄化してしまったようですね」
 なんだよ、と高耶は本日二度目の残念顔になった。
「そうがっかりしないで下さい。自然に浄化出来たのならば、喜ばしいことです」
 苦笑いで直江が諭すと、高耶はあきらめきれないといった感じで祠を眺めた。
「そーだけど」
 高耶は知りたかったのだ。
 一体どんな心残りがあったのか。
 浄化出来たということは、想いを果たすことが出来たのだろうか。
 満足してこの世を去っていったのだろうか。
 おかしな話だが、置いていかれたような寂しい気持ちがした。
「ねーさんに報告してやんなきゃな」 
 そう言った高耶は、祠に打ち付けられた木の札の題目に目を留めた。
「梓川玉突き事故追悼小詞……?」
 手書きらしい毛筆でそう書いてあった。
「5年程前の事故のことですね。かなり大きな事故で数名の方が亡くなったはずです。覚えてませんか?」
「知らねーな」
「現場はすぐそこだったんですよ。事故の原因となった車のドライバーだけが奇跡的に一命を取り留めたこともあって、マスコミにも大きく取り上げられていました」
 本当に覚えてないのか、と疑う視線から、高耶は眼を逸らした。 
「……5年前はちょうどゴタゴタしてた時期だから」
 直江は、ああ、という顔をした。
 高耶は嫌な話題を避けるように、話を続ける。
「じゃあ火傷の霊もその事故で?」
 直江は小首をかしげた。
「どうでしょう。彼が現れ出したのは1年程前のことでしたから、また別の事故かもしれませんね」
 ただでさえ高速道路の事故は死亡事故に繋がるような大きなものが多い。霊のうまれやすい場所のひとつだ。
 祠や石仏など神仏を思って作られたものは独特の気を纏っていることが多いから、その気に引っ張られてどこかからやってきてしまったのかもしれない。
「何がしたかったんだろうな」
高耶はまだ気になっていた。
───霊も人間です
 霊の数だけ物語がある。
 綾子が味方につきたくなるほど、必死に何かを訴えていた若者。
 一体彼に何があったのだろうか。
 死してなお伝えたい想い。
 オレも死んだら美弥のところに化けて出たりするのだろうか、と考えてから、直江達に言わせれば自分も既に化けて出た身なのだと思い出した。
「あの」
───っ!」
 突如聞こえた知らない声に、慌てて振り返る。
 そこには20代後半かと思われる、見知らぬ男女が立っていた。
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29  30  31  32  更新日2009年06月19日
33  34          更新日2009年06月19日
        










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