かいこん ほこら
悔恨の小祠
×
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車が発進してからも高耶は黙ったままだった。
「大丈夫ですか?」
直江が声をかけても返事をしない。
こういうときの高耶が人と距離を置きたがっているのだということは、直江もわかり始めていた。
けれど、今回はそうもいかない。あの不気味な霊の正体に一番近いのは高耶だった。
話を聞かなければならない。
「まだ頭が痛みますか」
高耶はやはり何も答えない。
「一体、何が起きたんです。あの霊体の意識を読み取ろうとしたんですか」
しばらくの沈黙の後、高耶はやっと口を開いた。
「ぶつかった瞬間、勝手に流れ込んできたんだ」
心臓を掴まれたような息苦しさがまた襲ってきて、顔をしかめる。
「暗いことを考えてると言っていましたね。具体的にはどんなことを」
「何かを……責めてるみたいだった」
「恨みを抱いている、ということですか?」
「わかんねーけど、多分」
高速道路での事故で死んだ者たちなのだろうか。
唐突な死。中には全く非のないうちに終わりを迎えた者もいるだろう。恨みを抱いて当然だ。
限りない絶望感が高耶の身体の内に未だにこびりついている。
「いろんな霊が混じっていると言っていましたね。数はわかりますか」
「20くらい……かな」
「意識がバラバラに感じ取れたんですか」
「ああ、みんな好き勝手に喋ってる感じだった」
「それならば、複合霊というより集合体に近いものかもしれませんね」
霊体が癒着することなくただ寄り集まってひとつ形を作っているだけなのかもしれない。
ならばうまい具合にバラけさせて個々に《調伏》すればいいので、こちらの負担もずいぶん軽くなる。
直江は、そのための具体的な方法やどんな真言を用いるかなどを話し始めたが、高耶の相槌は殆ど得られない。
ちらり高耶の顔を窺った後で小さくため息をついた。
「長秀に言われたことを気にしているんですか」
「………」
邪気にあてられてしまったことを、千秋は"精神が弱い"と言った。
同じ状況にいた譲は全く平気だったのだから、反論の余地もない。
だが、直江の言うことは違っていた。
「今の話を聞いていて思ったんですが、譲さんの方が精神的に強いという訳ではないかもしれません」
心のどこかで期待していた慰めの言葉に、高耶は素直になれずにそっぽを向いた。
「別に、いいって。事実だろ」
「もしかしたら、あなたはあの霊たちに同調してしまったのかもしれない」
「同調?」
「彼らの持つ感情とあなたの感情が結びついてしまったということです。譲さんが平気だったのは、彼らの持つ感情と同じ種類のものを譲さんが持っていなかっただけかもしれない」
霊たちの持つ感情、この世への未練は全て同じという訳ではもちろんない。
恨み、怒りなどのマイナスのものもあれば、守護霊などの陽性のものもある。
つまり、譲と比べて高耶は人を恨みがましく思いがちだということか。
でも、あの譲と比べられたら誰も勝てないような気がする。
「今回のように一瞬同調しただけならば、あなたの中に残った彼らの感情もいずれ消えてしまうでしょう。苦しいかもしれませんが心配するほどのことではありません。ですが、万が一ガッチリと結びついてしまった場合、相手を取り込むか自分が取り込まれるか、です。一歩間違えればとても危険な状況にだったということですよ」
「……下手したら死んでたってことか」
「ええ。魂が取り込まれてしまった場合、肉体は死を迎えるしかありません。……まあ、もしあなたにそんな危険が迫ったとしても、私が絶対に食い止めますが」
高耶はため息をついた。
(何やってんだ、オレは)
口をついて出そうになった言葉を飲み込んだ。
「大丈夫ですか?」
直江が声をかけても返事をしない。
こういうときの高耶が人と距離を置きたがっているのだということは、直江もわかり始めていた。
けれど、今回はそうもいかない。あの不気味な霊の正体に一番近いのは高耶だった。
話を聞かなければならない。
「まだ頭が痛みますか」
高耶はやはり何も答えない。
「一体、何が起きたんです。あの霊体の意識を読み取ろうとしたんですか」
しばらくの沈黙の後、高耶はやっと口を開いた。
「ぶつかった瞬間、勝手に流れ込んできたんだ」
心臓を掴まれたような息苦しさがまた襲ってきて、顔をしかめる。
「暗いことを考えてると言っていましたね。具体的にはどんなことを」
「何かを……責めてるみたいだった」
「恨みを抱いている、ということですか?」
「わかんねーけど、多分」
高速道路での事故で死んだ者たちなのだろうか。
唐突な死。中には全く非のないうちに終わりを迎えた者もいるだろう。恨みを抱いて当然だ。
限りない絶望感が高耶の身体の内に未だにこびりついている。
「いろんな霊が混じっていると言っていましたね。数はわかりますか」
「20くらい……かな」
「意識がバラバラに感じ取れたんですか」
「ああ、みんな好き勝手に喋ってる感じだった」
「それならば、複合霊というより集合体に近いものかもしれませんね」
霊体が癒着することなくただ寄り集まってひとつ形を作っているだけなのかもしれない。
ならばうまい具合にバラけさせて個々に《調伏》すればいいので、こちらの負担もずいぶん軽くなる。
直江は、そのための具体的な方法やどんな真言を用いるかなどを話し始めたが、高耶の相槌は殆ど得られない。
ちらり高耶の顔を窺った後で小さくため息をついた。
「長秀に言われたことを気にしているんですか」
「………」
邪気にあてられてしまったことを、千秋は"精神が弱い"と言った。
同じ状況にいた譲は全く平気だったのだから、反論の余地もない。
だが、直江の言うことは違っていた。
「今の話を聞いていて思ったんですが、譲さんの方が精神的に強いという訳ではないかもしれません」
心のどこかで期待していた慰めの言葉に、高耶は素直になれずにそっぽを向いた。
「別に、いいって。事実だろ」
「もしかしたら、あなたはあの霊たちに同調してしまったのかもしれない」
「同調?」
「彼らの持つ感情とあなたの感情が結びついてしまったということです。譲さんが平気だったのは、彼らの持つ感情と同じ種類のものを譲さんが持っていなかっただけかもしれない」
霊たちの持つ感情、この世への未練は全て同じという訳ではもちろんない。
恨み、怒りなどのマイナスのものもあれば、守護霊などの陽性のものもある。
つまり、譲と比べて高耶は人を恨みがましく思いがちだということか。
でも、あの譲と比べられたら誰も勝てないような気がする。
「今回のように一瞬同調しただけならば、あなたの中に残った彼らの感情もいずれ消えてしまうでしょう。苦しいかもしれませんが心配するほどのことではありません。ですが、万が一ガッチリと結びついてしまった場合、相手を取り込むか自分が取り込まれるか、です。一歩間違えればとても危険な状況にだったということですよ」
「……下手したら死んでたってことか」
「ええ。魂が取り込まれてしまった場合、肉体は死を迎えるしかありません。……まあ、もしあなたにそんな危険が迫ったとしても、私が絶対に食い止めますが」
高耶はため息をついた。
(何やってんだ、オレは)
口をついて出そうになった言葉を飲み込んだ。
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《力》すら満足に扱えず、護ると決めた譲にまで心配される始末だ。
認めたくはないが譲に対して劣等感に似た感情すら抱いている。
(やっぱりオレには無理なのかもな……)
自分なんかが本当に誰かを守れるのか?人を救えるのか?
直江や綾子や千秋がやるように?
確かに自分は今まで美弥を守ってきた。なりふり構わず、傷だらけになって必死に。
裏返せば美弥ひとりにだって手一杯だったのだ。
いや、美弥からだって逃げ出して母親のもとへ駆け込もうとしたことすらあった。
そんな俺に何ができるというんだろう。
現に自分は今日、何もできなかった。
ずっと、早く大人になりたいと思っていた。力が欲しい、と。
実際、年を取り、ありえないような力を手にするチャンスを得たのに、何の役にも立ててはいないじゃないか。
チャンスを活かしきれない自分がもどかしい。
もしかするとこのチャンスは、自分には相応しくないのかもしれない。
譲のような者にこそ与えられるべきものなのかもしれない。
あまりにも高耶が沈んでいるためか、直江はいよいよ心配になってきたようだ。
「本当に大丈夫ですか?」
あまり深くは追求はしないように、無理やり心の内を話させるようなことしないようにと、言葉を慎重に選ぶようにしながら言った。
「あまり独りで考え過ぎないようにして下さい。私達が何のためにいると思っているんですか。……まぁ、あまり信用されてないことは自覚しているつもりですが、他人に話すことで心が軽くなることもあるでしょう」
その気になったらいつでも言ってください、と直江は言った。
「………」
きっとあの誠実な瞳がこちらを向いているのだとわかる。
高耶は見つめ返すことが出来ず、視線を足元に落としたまま低い声で聞いた。
「あいつを《調伏》するのか」
「それ以外にないでしょうね」
「浩二って人ごと?」
「彼が取り込まれてしまったのかどうかは、未だ確認できてはいませんが……。あの霊体からは邪気しか感じられませんでした。いずれ良からぬ事を始めるでしょう。ここは被害が広がる前に《調伏》がセオリーです」
高耶は重苦しいため息をついた。
「浩二は何でこの世に残ったんだろう。あの田辺って奴が言ってたみたいに、彼女とのことを恨んでたのかな」
「彼の死後に留美子さんを想うようになった、というのが本当ならば、何か他に理由があったんでしょう」
「じゃあ、どーしても結婚したかったのかもな」
「あるいは留美子さんとは全く関係の無い理由かもしれない。死ぬ間際に、もっとこうしておけばよかった、とか、あんなことするんじゃなかった、と考えない人間がいると思いますか?」
しかし思った時にはもう取り返しがつかない。数秒後には命が尽きる。
突然の終焉に、生きてさえいれば、と思わずにいられる人間がいるだろうか。
「……残された方だって辛いよな」
高耶は留美子や道男のことを考えた。
浩二が最期に何を思ったのか、留美子も道男も知ることはできない。彼らの手の届くところに、浩二はもういないのだ。
浩二の霊があの霊体に取り込まれていたとして、《調伏》してしまったら、それこそ二度と浩二の"声"は聞くことができない。
「残してしまった者と、残された者と、どちらが辛いんでしょうね」
「……さあな」
曖昧に答えはしたが、残されたほうが辛いんじゃないかと高耶は思う。
脳裏に母親の後ろ姿が浮かんだ。
仙台行きの話を聞いてからよく思い出すようになっていた。
(残されたほうは辛いし、惨めなんだ)
いなくなった人と自分の思い出の中に反省点はなかったか、ひたすら繰り返し考える。
そればかりに囚われて、なかなか新しい人間関係を築くことが出来ない。
もやのような罪悪感の中で自分を責め続けるのだ。
「高耶さん?」
またしても黙りこんだ高耶の顔を直江は覗き込む。
思わず視線を合わせてしまった。
心配そうに歪められた眉の下に鳶茶の瞳。
「大丈夫ですか?」
今日何度目の台詞だろう。今度は眼を逸らさなかった。
逸らさずにおいて、湧き上がってくる感情を抑え込んだ。
この男が心配なのは”景虎”でオレじゃない。
(だけど……)
もし、オレが大丈夫じゃないって言ったら、この男はどうするのだろう。
助けてくれと言ったら、一体どんな言葉をくれるのだろう。
苦しげな顔なをする高耶に直江は言った。
「あなたにそんな顔をさせるモノなんて、あの場で息の根を止めておくべきでしたね」
少々不穏なその台詞と相対する静かな声に高耶は眼を見開いた。
しばらく高耶を見つめたままだった直江は一度眼を閉じると、前に向き直って言った。
「死者にとっても、負の感情は行き詰るばかりで苦しいだけです。《調伏》することで行き場のない苦しみが消えるのならば、かえってそのほうが幸せなのかもしれません」
彼らには真っ白な来世が待っているのだから───。
直江はどこか遠くの方を見ながらそう言った。
認めたくはないが譲に対して劣等感に似た感情すら抱いている。
(やっぱりオレには無理なのかもな……)
自分なんかが本当に誰かを守れるのか?人を救えるのか?
直江や綾子や千秋がやるように?
確かに自分は今まで美弥を守ってきた。なりふり構わず、傷だらけになって必死に。
裏返せば美弥ひとりにだって手一杯だったのだ。
いや、美弥からだって逃げ出して母親のもとへ駆け込もうとしたことすらあった。
そんな俺に何ができるというんだろう。
現に自分は今日、何もできなかった。
ずっと、早く大人になりたいと思っていた。力が欲しい、と。
実際、年を取り、ありえないような力を手にするチャンスを得たのに、何の役にも立ててはいないじゃないか。
チャンスを活かしきれない自分がもどかしい。
もしかするとこのチャンスは、自分には相応しくないのかもしれない。
譲のような者にこそ与えられるべきものなのかもしれない。
あまりにも高耶が沈んでいるためか、直江はいよいよ心配になってきたようだ。
「本当に大丈夫ですか?」
あまり深くは追求はしないように、無理やり心の内を話させるようなことしないようにと、言葉を慎重に選ぶようにしながら言った。
「あまり独りで考え過ぎないようにして下さい。私達が何のためにいると思っているんですか。……まぁ、あまり信用されてないことは自覚しているつもりですが、他人に話すことで心が軽くなることもあるでしょう」
その気になったらいつでも言ってください、と直江は言った。
「………」
きっとあの誠実な瞳がこちらを向いているのだとわかる。
高耶は見つめ返すことが出来ず、視線を足元に落としたまま低い声で聞いた。
「あいつを《調伏》するのか」
「それ以外にないでしょうね」
「浩二って人ごと?」
「彼が取り込まれてしまったのかどうかは、未だ確認できてはいませんが……。あの霊体からは邪気しか感じられませんでした。いずれ良からぬ事を始めるでしょう。ここは被害が広がる前に《調伏》がセオリーです」
高耶は重苦しいため息をついた。
「浩二は何でこの世に残ったんだろう。あの田辺って奴が言ってたみたいに、彼女とのことを恨んでたのかな」
「彼の死後に留美子さんを想うようになった、というのが本当ならば、何か他に理由があったんでしょう」
「じゃあ、どーしても結婚したかったのかもな」
「あるいは留美子さんとは全く関係の無い理由かもしれない。死ぬ間際に、もっとこうしておけばよかった、とか、あんなことするんじゃなかった、と考えない人間がいると思いますか?」
しかし思った時にはもう取り返しがつかない。数秒後には命が尽きる。
突然の終焉に、生きてさえいれば、と思わずにいられる人間がいるだろうか。
「……残された方だって辛いよな」
高耶は留美子や道男のことを考えた。
浩二が最期に何を思ったのか、留美子も道男も知ることはできない。彼らの手の届くところに、浩二はもういないのだ。
浩二の霊があの霊体に取り込まれていたとして、《調伏》してしまったら、それこそ二度と浩二の"声"は聞くことができない。
「残してしまった者と、残された者と、どちらが辛いんでしょうね」
「……さあな」
曖昧に答えはしたが、残されたほうが辛いんじゃないかと高耶は思う。
脳裏に母親の後ろ姿が浮かんだ。
仙台行きの話を聞いてからよく思い出すようになっていた。
(残されたほうは辛いし、惨めなんだ)
いなくなった人と自分の思い出の中に反省点はなかったか、ひたすら繰り返し考える。
そればかりに囚われて、なかなか新しい人間関係を築くことが出来ない。
もやのような罪悪感の中で自分を責め続けるのだ。
「高耶さん?」
またしても黙りこんだ高耶の顔を直江は覗き込む。
思わず視線を合わせてしまった。
心配そうに歪められた眉の下に鳶茶の瞳。
「大丈夫ですか?」
今日何度目の台詞だろう。今度は眼を逸らさなかった。
逸らさずにおいて、湧き上がってくる感情を抑え込んだ。
この男が心配なのは”景虎”でオレじゃない。
(だけど……)
もし、オレが大丈夫じゃないって言ったら、この男はどうするのだろう。
助けてくれと言ったら、一体どんな言葉をくれるのだろう。
苦しげな顔なをする高耶に直江は言った。
「あなたにそんな顔をさせるモノなんて、あの場で息の根を止めておくべきでしたね」
少々不穏なその台詞と相対する静かな声に高耶は眼を見開いた。
しばらく高耶を見つめたままだった直江は一度眼を閉じると、前に向き直って言った。
「死者にとっても、負の感情は行き詰るばかりで苦しいだけです。《調伏》することで行き場のない苦しみが消えるのならば、かえってそのほうが幸せなのかもしれません」
彼らには真っ白な来世が待っているのだから───。
直江はどこか遠くの方を見ながらそう言った。
翌日早くに、直江は道男を通じて留美子と連絡を取った。
サービスエリアの祠を建てた人物、町田について聞くためである。
構造からして二つの祠は同じ人物の手によるものだと見込んだからだ。
もしあの雑木林に何度か通ったことのある人物なら、あの影に似た霊体を目撃している可能性も高い。
留美子は直江たちが今回の事故について調べることにしたと聞いて、喜んで協力を申し出てくれた。
なのだが。
『あの、町田さんは亡くなってるんです』
「ええ?」
思わず訊きかえした。
事故の遺族会の代表を務めたこともある町田なる人物は、もう既に亡くなっているのだという。病死だそうだ。
"はる香"という夫人が独りのこされて、都内に住んでいるらしい。
『あのサービスエリアへ何度も通ううちに、祠を建ててくださった方にもきちんとご挨拶をしたいと思うようになって、従業員の方に訊いてお家を訪ねたことがあったんです。そしたら町田さんがちょうど亡くなられたばかりの時で……。だから私もミッちゃんも、町田さんのご主人にはお会いしてないんです」
祠を建てたいきさつや何かは全て夫人に聞いたそうだ。
とりあえず、住所を教えてもらい訪ねてみることにした。
「その時に、あの祠をもうひとつ建てたという話は聞きませんでしたか?」
『え、もうひとつ?』
どうだろう、聞いてないと思うけど……としばらく考えをめぐらせている様子の留美子は、思い出したように言った。
『関係ないかもしれないですけど、あの祠の中の神様は何かの動物をモチーフにしたってはる香さんが仰ってました』
「動物」
『えっと……キツネだったか、タヌキだったか……』
留美子はしばらく悩んだが、答えは出せなかった。
それ以上の情報は無さそうだと踏んで直江は留美子に礼を言った。
私からもはる香さんに宜しく、という伝言を預かった後、電話を切ろうとしたが、
「あの……」
と小さい声が聞こえてもう一度受話器を耳にあてた。
「もうひとつだけ……」
彼女は躊躇った末に言った。
「もし、浩二に会うことが出来たら、伝えて欲しい事があるんです」
承諾すると、留美子は小さな声でその決意の言葉を話してくれた。直江は内心痛ましいと思ったが、それを口にすることは出来なかった。
教えてもらった住所には、小さな一軒家があった。
平屋建てのその家は古い造りではあったが、手入れがきちんとされているせいか明るい印象だ。
柵に囲まれた庭に色とりどりの花をつけた植木が所狭しとならんでいる。
それを横目に見ながら、直江は玄関のチャイムを押した。
すぐに返事が返ってきた。
「突然すみません。井川留美子さんから、町田さんのお宅はこちらだと伺いまして」
ドアを開けた女性は60代だろうか。上品な笑顔は家と同じく明るい印象だ。
「井川……?ああ、白いアネモネのお嬢さんね」
一瞬返事に詰まったが、確か留美子が祠に供えていた花が確かアネモネだったと思い返す。
「どういったご用件かしら」
「実は、高速道路における交通事故のことを色々と調べておりまして、ご主人が祠を建てたり5年前の事故の遺族会をやられた経緯について、是非お話をお伺いしたくて参ったんですが」
そう言って架空の雑誌社の名刺を渡す。
話をスムーズに聞く際の必殺技だ。名刺の種類で相手の態度を180度変えることが出来る。
「あら、そうですか。けど……残念ながら主人は先日」
「ええ、存じています。奥様がご存知の範囲内で構わないんですが」
「───わかりました。主人の残した写真がありますからそちらでよろしいかしら」
「助かります」
仏間で線香をあげた後、リビングに通された。
サービスエリアの祠を建てた人物、町田について聞くためである。
構造からして二つの祠は同じ人物の手によるものだと見込んだからだ。
もしあの雑木林に何度か通ったことのある人物なら、あの影に似た霊体を目撃している可能性も高い。
留美子は直江たちが今回の事故について調べることにしたと聞いて、喜んで協力を申し出てくれた。
なのだが。
『あの、町田さんは亡くなってるんです』
「ええ?」
思わず訊きかえした。
事故の遺族会の代表を務めたこともある町田なる人物は、もう既に亡くなっているのだという。病死だそうだ。
"はる香"という夫人が独りのこされて、都内に住んでいるらしい。
『あのサービスエリアへ何度も通ううちに、祠を建ててくださった方にもきちんとご挨拶をしたいと思うようになって、従業員の方に訊いてお家を訪ねたことがあったんです。そしたら町田さんがちょうど亡くなられたばかりの時で……。だから私もミッちゃんも、町田さんのご主人にはお会いしてないんです」
祠を建てたいきさつや何かは全て夫人に聞いたそうだ。
とりあえず、住所を教えてもらい訪ねてみることにした。
「その時に、あの祠をもうひとつ建てたという話は聞きませんでしたか?」
『え、もうひとつ?』
どうだろう、聞いてないと思うけど……としばらく考えをめぐらせている様子の留美子は、思い出したように言った。
『関係ないかもしれないですけど、あの祠の中の神様は何かの動物をモチーフにしたってはる香さんが仰ってました』
「動物」
『えっと……キツネだったか、タヌキだったか……』
留美子はしばらく悩んだが、答えは出せなかった。
それ以上の情報は無さそうだと踏んで直江は留美子に礼を言った。
私からもはる香さんに宜しく、という伝言を預かった後、電話を切ろうとしたが、
「あの……」
と小さい声が聞こえてもう一度受話器を耳にあてた。
「もうひとつだけ……」
彼女は躊躇った末に言った。
「もし、浩二に会うことが出来たら、伝えて欲しい事があるんです」
承諾すると、留美子は小さな声でその決意の言葉を話してくれた。直江は内心痛ましいと思ったが、それを口にすることは出来なかった。
教えてもらった住所には、小さな一軒家があった。
平屋建てのその家は古い造りではあったが、手入れがきちんとされているせいか明るい印象だ。
柵に囲まれた庭に色とりどりの花をつけた植木が所狭しとならんでいる。
それを横目に見ながら、直江は玄関のチャイムを押した。
すぐに返事が返ってきた。
「突然すみません。井川留美子さんから、町田さんのお宅はこちらだと伺いまして」
ドアを開けた女性は60代だろうか。上品な笑顔は家と同じく明るい印象だ。
「井川……?ああ、白いアネモネのお嬢さんね」
一瞬返事に詰まったが、確か留美子が祠に供えていた花が確かアネモネだったと思い返す。
「どういったご用件かしら」
「実は、高速道路における交通事故のことを色々と調べておりまして、ご主人が祠を建てたり5年前の事故の遺族会をやられた経緯について、是非お話をお伺いしたくて参ったんですが」
そう言って架空の雑誌社の名刺を渡す。
話をスムーズに聞く際の必殺技だ。名刺の種類で相手の態度を180度変えることが出来る。
「あら、そうですか。けど……残念ながら主人は先日」
「ええ、存じています。奥様がご存知の範囲内で構わないんですが」
「───わかりました。主人の残した写真がありますからそちらでよろしいかしら」
「助かります」
仏間で線香をあげた後、リビングに通された。
昭和調の家具の並ぶ居間は、庭に面するガラス戸から見える花々が目に鮮やかだ。
夫人は本棚からアルバムを一冊抜き出した。
そこには、玉突き事故の遺族会の横断幕の下に集まる人々や、あのサービスエリアの祠が出来上がるまでの過程などが写真が収められていて、ところどころに痩せた白髪頭の老人が、笑顔を作って写りこんでいる。町田であろう。病のせいなのか、乾いた皮膚やこけた頬が見た目を実年齢以上にみせていた。
1枚1枚丁寧に見ながら、何気なくを装って言った。
「そういえば、留美子さんと道男さんたちが事故にあわれた話、ご存知ですか」
「───いえ、知らないわ。お車で?」
「ええ。これとそっくりな祠のある雑木林のすぐそばで」
直江は写真を指差しながら顔をあげた。
はる香は眉をひそめている。
「……お怪我はなされたの?」
「いえ、幸い軽傷で済んだようです。何でも」
と言ってから直江は一呼吸置いた。
「"獣のようなもの"に襲われたそうで」
ぴくり、とはる香は僅かに身体を揺らした。心当たりがあるのだろうか。更に注意深く見つめる。
「ケモノ……?」
「ええ。どう思われますか」
しばらく窓の外を眺めていたはる香は呟くように言った。
「……そのケモノって、狸じゃないかしら」
「タヌキ、ですか?」
「ええ、おかしな話だと思うでしょうけど」
はる香はアルバムをもう一冊取り出して手渡した。
礼を言って開いてみると、そこにはあの雑木林の祠の製作過程が写されている。
「こっちの祠はサービスエリアのものより随分前に建てたものです」
日付をみると事故後まだ間もない。
「なぜ、この場所に?」
「……実は主人、島内の出身なの」
松本市島内はちょうどあの雑木林のある地域の地名だった。
「あそこには昔から”御狸(おんたぬき)様をよく信心すると願いごとがかなう”という言い伝えがあったそうです。主人が子供の頃、御狸様のおかげで福を得たひとがいたそうですよ」
半世紀以上前、当時の林がもっと広く、まだ森と呼ばれていた頃の話だ。
そういえば確かにあの近所で聞き込みをした時にもそんな話を聞いた気がする。
幼少期をあの雑木林の近くで過ごした町田は、その頃に聞いた話を思い出して祠を建てることにした。
当時はまだ刑事裁判すら終わっていなかった。身体の弱い町田は、折からの病院通いと裁判所通いの合間を縫って島内まで通い続けたという。
その裁判は直江もニュースで観た覚えがあった。納得のいかない判決を聞いた遺族団が酷く怒っている様子は印象強い。あの中に町田もいたのだろうか。
「主人は裁判にもとてもいれこんでいました」
希望とは程遠い判決内容に精神的なダメージを相当受けた町田は、もともと患っていた肺の病状は更に悪化し、島内に行く体力もなくなり、日に日に弱って行った。
そして引き続き行われていた民事裁判の判決も原告側の望むものとは違ったことを自宅のベッドの上で聞いた町田は、その日の内に姿をくらませてしまった。
判決の連絡を受けた直後、はる香は町田が"自分の命と引き換えしてでもあの男を罰したい"というのを聞いたそうだ。
「あの人の姿がないと気付いたとき、直感的に嫌な予感がして……」
すぐに警察に相談したものの、夜まで帰りを待ってみようということになった。結局明け方になっても町田が戻ってくることはなく、捜索届けを出したのが翌日の午前中。島内の地元警察の協力の元、あの雑木林の探索が行われ、じきに祠の前で町田は発見された。
「……既に息はなかったそうです」
直江は呼吸をとめた。
喀血して倒れていたという。
「死因は病死ということになりました。遺書なんかも出てこなかったから」
その日はひどく雨が降っていた。
病身をおして車を走らせ、雨の中傘もささずに祠の前に座り続けた町田は、そのまま衰弱し亡くなった、というのが警察の見解だ。
けれどそれは死を覚悟しての行為だったのではないか、と直江は思った。
ならば限りなく自死に近い行為だ。
自身の命を御狸に捧げることで、望みを叶えてもらおうとしたのだろうか。
「ご主人は祠の前で、被告への天罰を願ったと思いますか?」
はる香は俯いたまま答えた。
「わかりません」
「けれど、被告を恨んでことは間違いがない……」
それを聞いたはる香はぱっと顔をあげた。
「…いいえ、違います」
「違う?」
かぶりを振っている。
「あの人は確かに被告は罰せられるべきだと思っていました。でもそれは犯した罪を償わせるという意味で望んだことで、自分の苦しみを味あわせたい、というものではなかったんです」
恨みとは少し違う、というのである。
「感情的な意味でいったら、あの人は被告を責めるより前に……」
自分を責めていました───。
はる香の言葉に、直江は瞠目した。
夫人は本棚からアルバムを一冊抜き出した。
そこには、玉突き事故の遺族会の横断幕の下に集まる人々や、あのサービスエリアの祠が出来上がるまでの過程などが写真が収められていて、ところどころに痩せた白髪頭の老人が、笑顔を作って写りこんでいる。町田であろう。病のせいなのか、乾いた皮膚やこけた頬が見た目を実年齢以上にみせていた。
1枚1枚丁寧に見ながら、何気なくを装って言った。
「そういえば、留美子さんと道男さんたちが事故にあわれた話、ご存知ですか」
「───いえ、知らないわ。お車で?」
「ええ。これとそっくりな祠のある雑木林のすぐそばで」
直江は写真を指差しながら顔をあげた。
はる香は眉をひそめている。
「……お怪我はなされたの?」
「いえ、幸い軽傷で済んだようです。何でも」
と言ってから直江は一呼吸置いた。
「"獣のようなもの"に襲われたそうで」
ぴくり、とはる香は僅かに身体を揺らした。心当たりがあるのだろうか。更に注意深く見つめる。
「ケモノ……?」
「ええ。どう思われますか」
しばらく窓の外を眺めていたはる香は呟くように言った。
「……そのケモノって、狸じゃないかしら」
「タヌキ、ですか?」
「ええ、おかしな話だと思うでしょうけど」
はる香はアルバムをもう一冊取り出して手渡した。
礼を言って開いてみると、そこにはあの雑木林の祠の製作過程が写されている。
「こっちの祠はサービスエリアのものより随分前に建てたものです」
日付をみると事故後まだ間もない。
「なぜ、この場所に?」
「……実は主人、島内の出身なの」
松本市島内はちょうどあの雑木林のある地域の地名だった。
「あそこには昔から”御狸(おんたぬき)様をよく信心すると願いごとがかなう”という言い伝えがあったそうです。主人が子供の頃、御狸様のおかげで福を得たひとがいたそうですよ」
半世紀以上前、当時の林がもっと広く、まだ森と呼ばれていた頃の話だ。
そういえば確かにあの近所で聞き込みをした時にもそんな話を聞いた気がする。
幼少期をあの雑木林の近くで過ごした町田は、その頃に聞いた話を思い出して祠を建てることにした。
当時はまだ刑事裁判すら終わっていなかった。身体の弱い町田は、折からの病院通いと裁判所通いの合間を縫って島内まで通い続けたという。
その裁判は直江もニュースで観た覚えがあった。納得のいかない判決を聞いた遺族団が酷く怒っている様子は印象強い。あの中に町田もいたのだろうか。
「主人は裁判にもとてもいれこんでいました」
希望とは程遠い判決内容に精神的なダメージを相当受けた町田は、もともと患っていた肺の病状は更に悪化し、島内に行く体力もなくなり、日に日に弱って行った。
そして引き続き行われていた民事裁判の判決も原告側の望むものとは違ったことを自宅のベッドの上で聞いた町田は、その日の内に姿をくらませてしまった。
判決の連絡を受けた直後、はる香は町田が"自分の命と引き換えしてでもあの男を罰したい"というのを聞いたそうだ。
「あの人の姿がないと気付いたとき、直感的に嫌な予感がして……」
すぐに警察に相談したものの、夜まで帰りを待ってみようということになった。結局明け方になっても町田が戻ってくることはなく、捜索届けを出したのが翌日の午前中。島内の地元警察の協力の元、あの雑木林の探索が行われ、じきに祠の前で町田は発見された。
「……既に息はなかったそうです」
直江は呼吸をとめた。
喀血して倒れていたという。
「死因は病死ということになりました。遺書なんかも出てこなかったから」
その日はひどく雨が降っていた。
病身をおして車を走らせ、雨の中傘もささずに祠の前に座り続けた町田は、そのまま衰弱し亡くなった、というのが警察の見解だ。
けれどそれは死を覚悟しての行為だったのではないか、と直江は思った。
ならば限りなく自死に近い行為だ。
自身の命を御狸に捧げることで、望みを叶えてもらおうとしたのだろうか。
「ご主人は祠の前で、被告への天罰を願ったと思いますか?」
はる香は俯いたまま答えた。
「わかりません」
「けれど、被告を恨んでことは間違いがない……」
それを聞いたはる香はぱっと顔をあげた。
「…いいえ、違います」
「違う?」
かぶりを振っている。
「あの人は確かに被告は罰せられるべきだと思っていました。でもそれは犯した罪を償わせるという意味で望んだことで、自分の苦しみを味あわせたい、というものではなかったんです」
恨みとは少し違う、というのである。
「感情的な意味でいったら、あの人は被告を責めるより前に……」
自分を責めていました───。
はる香の言葉に、直江は瞠目した。
かいこん ほこら
悔恨の小祠